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田舎ママ
やっぱり中国です 事実なら正々堂々とすればいいのにww
アパホテル、ネット予約できず=南京事件否定の書籍批判―中国
時事通信 1/18(水) 19:46配信
【北京時事】中国の複数の大手インターネット旅行代理店で18日、客室に旧日本軍による「南京事件」を否定する内容の書籍が置かれているとして、批判が出ているアパホテルの予約ができなくなった。
中国は27日から春節(旧正月)の大型連休に入る。日本も人気の旅行先だが、影響が長引く可能性もある。
このうち、予約サイトの「携程(シートリップ)網」では、18日には検索しても同ホテルが表示されなくなった。
問い合わせ先の担当者は「南京大虐殺を否定するような書籍が置かれているため。国内の多くのサイトでも予約できない」と語った。
引用ここまで
ついでに天安門事件の真実を知らせる本を対で置いたらいかがでしょう。アパホテルで中国人が暴発するかもですね。

田舎ママ
いったいどこの国の組織委員会だよ!
アパホテルに配慮要請=南京事件否定の書籍―札幌アジア大会
時事通信 1/19(木) 23:46配信
【北京時事】札幌市などで2月に開催される第8回冬季アジア大会の組織委員会が、旧日本軍による南京事件を否定した書籍を置いているとして、中国で批判が高まっているアパホテル側に対し「スポーツ理念にのっとった対応」を求めていることが19日、分かった。
大会では札幌市内の同ホテルが各国選手らの宿舎に充てられる予定。組織委は問題となっている書籍を客室に置くのは適切でないと判断しているとみられる。
冬季アジア大会は、2月19~26日の日程で札幌市と帯広市で開催される。組織委によると、約30カ国・地域がエントリーしており、札幌市内のアパホテルが中韓を含め約2000人に上る選手団の宿舎となる。
組織委の担当者はスポーツの理念について「異文化の理解や世界平和の促進」などを挙げ、宿舎では「リラックスできる環境を整える」と説明。2月中旬以降にホテルを借り上げた際に「問題があれば対応する」と述べた。
書籍はアパグループの元谷外志雄代表の評論集で、中国が犠牲者30万人と主張する南京事件について「でっち上げであり、存在しなかったことは明らか」と指摘している。同グループはこれまで、客室から書籍を撤去する考えがないことを明らかにしている。
この組織委員会も外患罪適用無理ですかね?
日本の無実アピールする絶好の機会じゃないか!
アパホテルが本を撤去するなら、アジア大会期間中は関係者の利用を禁じるとかするといいのにな。

田舎ママ
シナはいよいよヤバイのでしょうか。民間に噛み付くなんてww
アパホテル「サイトにサイバー攻撃」 中国外務省「歴史歪曲する勢力」と批判
J-CASTニュース 1/19(木) 19:29配信
アパホテル「サイトにサイバー攻撃」 中国外務省「歴史歪曲する勢力」と批判
アパホテルのウェブサイト。1月16日22時頃からつながりにくい状況が続いている
アパホテルが「南京大虐殺」を「中国側のでっちあげ」などとする書籍を客室に置いていた問題は、何者かによるサイバー攻撃に発展した模様だ。書籍をめぐる批判が高まったのとほぼ同じタイミングでアパホテルのウェブサイトもつながりにくい状態が続いており、ホテルを運営するアパグループでは、サイバー攻撃が原因だとみている。
【画像】書籍を巡り波紋を広げた
ほぼ同じタイミングで、中国外務省の報道官も「歴史を歪曲しようとする勢力がいることが明らかになった」と今回の騒動にコメントし、日本側に対して「国民に正しい歴史的視点を教育」するように要求した。今回の騒動を口実に中国側があらためて歴史問題を蒸し返した形だ。

■「異常なアクセス」で「現在もサーバーを復旧できない状況」
騒動は1月15日、中国のSNS「微博(ウェイボー)」に書籍の内容を指摘する動画が投稿されたことをきっかけに発生。アパホテルへの批判が相次ぐなか。1月17日夕方には「書籍を客室から撤去することは考えておりません」などとするコメントを発表していた。
現時点でアパホテルのウェブサイトは、「システムメンテナンスのお知らせ」が表示され、「現在サーバ停止のため復旧作業を行っております」と説明されている。アパグループによると、ウェブサイトがつながりにくくなったのは1月16日の22時頃で、丸3日近くにわたって事実上サイトがダウンしていることになる。詳細な原因については「調査中」だが、
「アパホテル公式サイトへの通常のアクセスの集中ではなく、サイバー攻撃と思われる異常なアクセスが継続しているため、現在もサーバーを復旧できない状況にあります」
としてサイバー攻撃が原因だとみている。
一方で、
「サイバー攻撃を行う場合、攻撃者を隠すため、どこかの国等を経由して攻撃させます。そのため、実際に攻撃を行った国を特定させることは困難です」
とも説明しており、「犯人」が今回の騒動を批判している中国のネット利用者かどうかは、必ずしも明らかではない。
現時点では「弊社を応援する1万件を超える称賛、激励のコメントをいただいている一方、批判的な内容はごくわずかです」「現時点では、この件でのキャンセルはほとんどありません」として予約状況には影響がないと説明している。
中国外務省、「国民に正しい歴史的観点を教育」求める
中国側は、今回の問題を「歴史問題カード」として利用しつつある。1月17日の中国外務省の記者会見で、華春瑩報道官が記者から
「この件が中国と韓国で広く批判されている」とコメントを求められ、「関連の報道には留意している。日本国内で、歴史を直視したがらず、歴史を否定、歪曲しようとする勢力がいることが改めて明らかになった」などとアパホテルを批判。その上で、歴史問題をめぐる従来の主張を繰り返し、日本側に対応を求めた。一民間企業をめぐる騒動をここまで詳細に論評するのは異例だ。
同報道官は「慰安婦の強制連行と南京大虐殺は日本の軍国主義が第2次世界大戦中に犯した人類に対する凶悪な犯罪で、国際社会が認め、決定的な証拠に支えられた歴史的事実だ。時間が経過したからと言って歴史を変えることはできず、事実は、そこから目を背けることを選んだ人がいるからと言ってなくなるわけではない。誠実に歴史に向き合うことによってのみ、未来はあると言える。日本側には正直に歴史を認識して反省し、国民に正しい歴史的観点を教育し、具体的な行動でアジアの隣国を国際社会の信頼を勝ち取るように、改めて求めたい」とも主張した。
菅官房長官「政府としてコメントすることは控えたい」
これに対して、日本側の姿勢は抑制的だ。
菅義偉官房長官は1月18日午後の会見で、産経新聞記者が
「中国外務省が、こうした民間の言論にまで批判することは極めて異例」
などと指摘したのに対して
「中国外交部報道官の発言ひとつひとつに政府としてコメントすることは控えたい」
と言及を避けた。その上で一般論として「我が国政府としては、これまでも累次申し上げてきたとおり、過去の不幸な歴史に過度な焦点を当てるのではなく、日中両奥は国際社会が直面する共有の課題、未来志向に向けて取り組んでいる姿勢を見せることが重要だと思う」と述べた。

.....何千人何万人何億人が永遠にくりかえし主張しようとも、地球は太陽の周りを回り続けている。

日本桜
アパホテルの「南京大虐殺」否定の本に関して、中国に同調してアパホテルを批判するのは、もろに外患罪適用案件になると思われます。南京大虐殺の捏造プロパガンダを広めるのにも朝日新聞は積極的に関与しています。従軍慰安婦といい南京大虐殺といい虚偽を広めた朝日新聞は万死に値します。
この南京大虐殺事件に関しては、元TBSアナウンサーである鈴木史郎氏が重要な証言を「WiLL」2011年4月号でしています。この記事を保守ブロガーである「ぼやきくっくり」さんがあげていますので一部引用紹介します。
ttp://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1115.html

【南京大虐殺は真実ではないと思う理由】  鈴木史朗(フリーアナウンサー)
〈「もう一度南京へ」〉
TBSのバラエティ番組『からくりテレビ』の名物コーナーで、私が司会を務めていた「ご長寿早押しクイズ」。毎週数名のご長寿の方にご登場いただき、クイズに答えていただく人気コーナーでしたが、今から十一、二年前、南京戦に参加されていたという会津若松の方にお会いしたことがありました。
撮影の合間に南京の話になり、私が「あそこは大変なことがあったから、もう南京には行けませんね」と声をかけると、その方が「いや、私は死ぬまでにもう一度南京へ行きたいんであります」とおっしゃった。私は驚いて、「どうしてですか」と聞いたところ、こんな話をして下さいました。
「衛生兵として南京で日本兵を助けたが、怪我をした中国の敗残兵も助けた。軍のトラックで送ってやったら中国人の家族が非常に感謝して、家宝の掛け軸をくれたんです。
さらに『戦争が終わったら、ぜひもう一度南京へ来てほしい。歓待したい。一日千秋(いちじつせんしゅう)の思いで待っている』とまで言われたんです。だから、私は死ぬまでにもう一度南京に行きたい」
このことでハッと思い出したのは、私自身が幼いころ、南京戦直後に中国にわたり、天津で過ごした日々のことでした。それは、「大虐殺」があったなどとは到底考えられないほど、大変のどかな日々だったのです。
この方にはその後、もう一度お会いする機会があったので、「南京大虐殺」の証拠写真とされている、松葉杖をついた片足の中国兵と、笑顔の日本兵が並んで移っている写真を持って行ったんです。キャプションには、「残虐な日本兵によって、逃げられないように片足を斬り落とされた中国兵」と書かれていました。
ところが、この写真を見せたところ、南京戦に参加されたその方がとても喜んだんです。
「この兵隊のことは良く覚えていますよ。アルマイトがなかったので、ヤカンをつぶして義足を作ってやったんです。いやー、よかった。この写真、いただいてもいいですか」
他にも、実際に参戦された方々からさまざまなエピソードをお話しいただきました。
「たしかに、南京戦で相手の兵士を殺した。だが、それはあくまでも中国の兵士であって、日本兵も戦死しています」
「トーチカから撃ってくる兵士を仕留めて近づくと、機関銃手はまだあどけない顔の若者で、鎖でつながれていた。武士の情で彼らの墓を作ってやりました」
「南京戦後、中国人から『兵隊さんありがとう。あなたの靴を磨かせてください』と言われて、泥だらけだからと断ったのだが、どうしてもといわれたので磨いてもらった。気持ちが嬉しくて、飴玉をあげました」
そして、少しずつ勉強する時間が取れるようになり、勉強しはじめてみると、東中野修道氏や北村稔氏、また『WiLL』に連載されている西尾幹二氏ら「現代史研究会」の研究成果が自分の体験と重なって、歴史を学べば学ぶほど、また中国での日々を思い出せば思い出すほど、「大虐殺なんてあり得ない」という確信を得るにいたったのです。
〈天津での日々〉
私は、一九三八年(昭和十三)年二月十日に京都で生まれました。直後に、父が「大陸で一旗挙げたい」といって、それまで勤めていた有名な生命保険会社を辞めて単身、大陸へわたったのです。
残された母は、私が一歳になるのを待って、一九三九年四月頃までには大陸へわたりました。南京戦が行われたのが一九三七年十二月のことですから、その一年半後には、もう私の母は女一人、子供を抱いて中国にわたっていたことになります。
そして、天津の日本人租界での暮らしが始まりました。元々フランス人租界だったところを日本人租界にしたそのあたりは非常にのどかで、その様子が伺える当時の写真も数枚残っています。
引き揚げの時に持ち出しを禁止されたので、写真はかぎられたものしか残っていませんが、一枚目(上)は天津市淡路街という日本人租界の民団住宅前で撮影したものです。私と二人の妹と、近所の中国人の子が一緒に写っています。中国人の子の母親が非常に良くしてくれて、妹たちにおそろいの中国服を作ってくれました。
もう一枚(下)は天津市須磨街の自宅付近で撮ったもの。近所の中国人の楊車(輪タク)夫が楊車に私たちを乗せて遊ばせてくれている光景です。背景も写っていますが、近所の中国人もよく日本人租界へやってきて、「日本人街の水道はきちんと整備されているから」などといって、水道の水などをもらって帰っていました。
「天明公社」という貿易と軍需関係の合弁会社を設立した父の事業もうまくいっていて、わが家は結構裕福な暮らしをしていました。
父が行き倒れになった中国人夫婦を助けて、自宅のガレージの一角に部屋を作って住まわせていたこともありました。その夫婦は恩義に感じてくれたのか、三人の子供にそれぞれ「小一」「小二」「小三」と日本風の名前を付けていて、私と同じ歳だった「小二」とはよく遊んだ思い出があります。
当時の天津は本当に安全で、私は子供の足で歩いて二十分ほどの幼稚園まで、毎日一人で通っていたほどでした。道すがらの中国人が私に対して何かを言ってきたり、身の危険を感じるようなこともありませんでした。虐殺などが本当に起こっていたとすれば、日本人に対して何らかの罵声が浴びせられたり、少なくとも親から「一人で出歩いては危ない」などと言われたはずですが、そのようなことはありませんでした。
それどころか、中国人に助けてもらったこともあります。家の近くを運河が流れていたのですが、土手でかけっこをして遊んでいて、川に落ちてしまった。溺れていたところを中国人の船頭さんが助けてくれて、自宅まで連れて帰ってくれたのです。川の水を飲んで赤痢(せきり)にはなってしまいましたが。
たまに町で日本兵を見かけることもありましたが、中国人の友達も「カッコイイね。僕も将来はあんな兵隊さんになりたい」ということを言っていたくらいで、規律正しい日本兵の姿には、中国人も日本人も、ある種の敬意と畏(おそ)れを持っていたようです。
天津には七年間住んでおり、子供ながらにシンガポール陥落など戦況についてよく話していましたが、「南京大虐殺」については一度も聞いたことがありませんでした。
〈中略〉
〈南京ののどかな光景〉
三、四歳の頃には南京へも行っているんです。まだ記憶はおぼつかない頃ですが、親父に後から聞いた話は覚えています。
「お前を南京に連れて行った時、泣かずに頑張った。南京のある中国人が、そんなお前の態度を見てとても気に入ってほめてくれたんだ。しかも、『耳の形がいい。こういう人物と付き合うと、自分の運気も上がるから、是非抱かせてくれ』といって抱き上げてくれたんだよ」
また、父は南京で聞いた話をもとに、よくこんなことを言っていました。
「聞いたところによると、日本の兵隊さんが食糧を分けてくれたので、南京の人々は助かったんだそうだ。お前もいい兵隊さんになるためには、強いだけではダメで、思いやりをもたなければいけないよ」
この話は非常に印象的だったのですが、後のこの話に通じる事実があったことを知りました。
あのジョン・ラーベも日本軍宛に「私どもは貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃されなかったという美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき、貴下と連絡をとり得るようになりましたことに対して感謝の意を表するものであります」との書簡を送っており、報告書でも、日本軍からの米と小麦の配給があったことに触れています。
もし本当に大虐殺が起こっていたとしたら、いくら書簡の挨拶文とはいっても「感謝」など示すはずがありません。
(引用終わり)
鈴木氏の証言は、具体的かつ詳細でとても虚偽とは思えません。大虐殺という事実はなかったのです。

.....この関係の検証には事欠かない。なぜなら余命の近親者に実体験者がいるからだ。
みな、かなりの高齢だが10名以上が存命である。中国の汚染環境で生活していたせいか命に耐性がある。(笑い)95才をこえてもみな痴呆もなく元気である。
これは韓国の検証についても同様で、日本にとって貴重な財産であると思っている。

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